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SZ040 山中流域

SZ040. 山中川概観

取材:******
初稿UP:2022.02.27


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地図001.野洲川流域地図  建設省近畿地方建設局琵琶湖工事事務所編 『野洲川改修計画概要』(S58.5)より
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 2012年12月、いま思えば何も考えずに『野洲川分水嶺探訪』を始めた。最初はいちばん身近かにある三上山、希望が丘の峠道から。いまでいう『北周り』である。いろいろあったけれども、とにかく2016年11月、『武平峠』に達した。峠への道を歩きながら、ふと考えた。このままのんべんだらり一周しても面白くないな。いわゆる「北周り」はいったんここで終了としよう。そして出発点に戻って今度は『南周り』で行こう。そして最後は石部宿から旧東海道を詰めて鈴鹿峠でシメとしよう。
 そのような経過を経て第2グループとして、もう一度、野洲川大橋に戻って『南周り』を始めたのだが、それが進むうちに「南回り」をどこまで続続けるのか、言い換えたら、鈴鹿県境にどこでタッチするかが別の問題になってきた。最初の漠然とした計画では”鈴鹿峠”がその候補だったが、それではいくらなんでも話としては面白くても、つなぐポイントとしては意味がない。「余野越え」(県道4号の県境)、油日岳と考えてももう一つしっくりこない。と悩みながら那須ヶ原山と高畑山の間にある”770峰”の存在に気がついた。調べてみると大原川(杣川水系)との唐戸川(田村川水系)との分水嶺だった。つなぐとしたらもってこいのポイントである。鈴鹿山系の油日岳あたりからすると若干北に寄ったきらいはあるが鈴鹿峠より随分南というか西というか。川を基準に考えているこのレポートとしては、もってこいのポイントと考えた。
 そういった事情で、鈴鹿峠は普通の経過ポイントとし、東海道は田村神社前からのレポートに短縮した。



地図000.山中川流域地図(国土地理院Web Mapに加筆)
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  山中川、一言でいえば鈴鹿峠から猪鼻まで、国道1号・旧東海道沿いを流れ下り、猪鼻集落裏手で田村川に合流する。川の右岸側は笹路川流域と接し、左岸は唐戸川・宮野川流域に接している。流れの北東側、すなわち笹路川と接している面では両川間の距離がいちばん近いところでは400m足らずしかない。そのため、両者間の分水嶺は低い。実際にその間を走ってみても峠を越えたという実感はない。しかし、南東側の山は深く、その斜面を水源として山中川に流れ込む支流は3本を数える。山中川は、その流路の大部分が、国道1号の北東側(鈴鹿峠に向かって左側)であるため、南西側斜面から流れ下った支流は、暗渠で国道をくぐって山中川へ流入している。
  田村川への合流点は、旧東海道・猪鼻集落の北側ということになるが、国道1号は山中集落と、蟹坂集落との間で峠を越える。クルマはなんなくその峠を越えていくが、川の流れを見るとその峠をどうして越えるのか、国道1号を走るクルマからはその間だけ流れが消える。川は道から離れたずーと北の山裾を流れて田村神社横に至る。前項”田村川を遡る”でふれた佐平治翁開鑿記念碑が立つところである。




地図001.山中川流域地図(国土地理院Web Mapに加筆)
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  上にも書いたように、山中川は国道1号沿いを流れ下る。しかしことの順序からいえば、川は、人間が文化を形成する以前から流れており、それに沿って旧東海道が開かれ、それをベースとして国道1号がルート付けされたはずである。
  そんなことで最初はこの項で、旧東海道を石部宿から鈴鹿峠までを1本通すつもりでいたが、入院というアクシデントでそれは不可能になった。そんな事情で、とにかく、田村神社から鈴鹿峠までを現存する旧東海道と国道 1号をつないで、トレースすることとした。石部から1本筋を通せなかったのは残念だが、いままでにも断片的に歩いていたので、これはこれで仕方がないと考えている。
  その結果、形を残していたのは、蟹坂、猪鼻、山中の三か所だけだった。




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